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乗車レポートギャラリー

乾壱さんの作品 「ベルリンからニュルンベルクへ」

  • ■列車: ICE109 ICE1229
  • ■旅先: ベルリン、ポツダム
  • ■時期: 2012年9月26日
ベルリンからニュルンベルクへ
◎ベルリンからニュルンベルクへ

 東京~ベルリン、ウィーン~東京の格安フライトを採用、少し短いけれど2週間の列車旅行となった。レイル・ヨーロッパのドイツ・オーストリアパス10日間を購入、列車とアパート、ホテルを予約する。

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 4泊のベルリン滞在後、イタリア好きの妻は「ベルリンは難しい」という。プロシャ帝国、黄金の20年代、1933-1945年、45-89年、博物館島...だけど一言で表現すれば"重い"。ローマ、ヴェネチア、フィレンツェとは趣が全く異なる。まずテーゲル空港。新空港の営業開始に遅れと伝えられていたが、確かに大ドイツの首都の空港としては小さくて古い。東西ベルリン時代からのつけなのだろう。ブランデンブルク門近くに借りたアパートは、第3帝国最後の地下要塞・bunkerの跡の上に建っていた。7階の部屋からはホロコースト慰霊碑が一望でき、その先はティアガルテン。ウィルヘルム通りには写真入りで第3帝国跡の説明がいたるところに。そしてチェックポイント・チャーリーにベルリンの壁の跡。アレクサンダー広場では旧ソ連軍の制服や勲章を売る屋台、それに70年代初めのサスペンス映画「さらばベルリンの灯」のテーマ音楽も聞こえてきた。

 2日目国立絵画館へ。フェルメールの作品「紳士とワインを飲む女」は見つけたが、目指していた「真珠の首飾り」がない。近くのスタッフに聞くと「いま日本に行っている」というではないか!オランダ・マウリッツハウスの「真珠の耳飾の少女」とともに日本を旅しているという。3日目地下鉄・DBでポツダム中央駅へ。ここでレイルパスをバリデート(9月28日から)、バスでサンスーシ宮殿に向かう。ここはプロシャ(第2)帝国の礎を築いたフリードリッヒ大王の別荘とか。庭園を見下ろす宮殿の左側に「Friedrich Der Grasse」の墓石?その上のお供えはジャガイモだった。

 ベルリン中央駅からインスブルック行きのICEに乗る。予約していた1stクラスの席は向かい合わせの4人がけで、40台前半のカップルが窓側に先着していた。しばらくして妻が見ていたチェックポイント・チャーリーの絵葉書に隣の男性が声を掛けてきた。早速ベルリンの街で気になった光景、通りの上をまたいでいるピンクや紫色のパイプ、の写真を見せて何かと尋ねた。インフラ整備が遅れている旧東ベルリンの各種工事の際、上下水道管をいったん外に出して工事を円滑にするためという。ただその男性、東と西の格差について話すときは周りを気にしてか幾分低めの声で遠慮がちではあった。2人はミュンヘンのビール祭に行く途中。多くの日本人プレーヤーが属しているドイツのサッカーチームに話題を移したが、本当か?っと残念ながら余りご存じなかった。「またベルリンへ?」と聞かれ、「次回はもっと長くいたい」と答えた。窓の外の田園風景はずっと変わらず、ニュルンベルクが近くなり、bergは山でburgは城、でも窓の外はhillだと言ったら笑っていた。

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 ニュルンベルク着。ホテルは中央駅前。旧市街を歩き、名物の焼きソーセージを求めてガイド本に載ったレストランへ。ビール、ワインにポテトスープとソーセージ6本セット2で24ユーロはリーズナブル。翌日妻の希望でバンベルクに向かう。DBで約1時間、小ベネチアと言われ、マイン川両岸の建物や街並みの雰囲気はその通り。ゴンドラもある。遊覧船の後部のドイツ国旗がなんとなく奇妙。よく晴れて暖かく、川辺を歩く。夕方ニュルンベルク中央駅からトラムでコングレスホールへ。5時で入場が終わっていたため巨大な建物を一周した。帰りのトラムにはサッカー観戦を終えた多くのファンで満員。日本の清武選手がプレーするNFCはこの日0-2で負け。翌早朝ツェッペリンフィールドに行きたくてタクシーを頼む。妻は同行せず、見学者はまばら。映画「意志の勝利」のシーンには遠く及ばない光景だったが、広さと規模は体感できた。あの"演台"にも立ってみた。この街は80年前「第3帝国」の聖地だった!

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